朝から村営放送が流れています。
いつもは健康診断のお知らせなどが流れている、のどかな村営放送。
ですが、今日は一言ずつかみしめるような話し方です。
「本日、6月23日は、沖縄の慰霊の日です。
太平洋戦争において、この地沖縄で、一般住民を巻き込んだ、悲惨な戦争が行われ、多くの尊い命、かけがえのない財産および、文化遺産を失いました。
村民の皆様、戦争で亡くなった御霊(みたま)をなぐさめ、世界の恒久平和を祈って、正午の時報を合図に、1分間の黙祷を、ささげましょう」
昨日、小学校で平和集会で、戦争の話の朗読劇を上演しました。
真っ暗になった、小学校のホール。
戦時中のガマ(洞窟)を再現し、ロウソクの光で物語の朗読をします。
「マブニのアンマー」というお話の朗読劇をしました。
戦争で、息子さんを亡くなったアンマー(お母さん)。
たくさんの命が失われたマブニの丘に、息子さんの骨を探しにいきます。
アンマーは、息子さんに歌った子守唄を歌いながら、骨を探し続けます。
これは一瞬フラッシュがたかれた時の写真です。
奥がアンマー役、手前がナレーターの私です。
両脇にスタンドマイクが置いてあって、これからいろんな人が登場します。
何年も息子さんを探しつづける内、アンマーはガマに転がる骨の声が聞けるようになります。
アメリカ兵に子供を殺された母親。
ガマの中で泣いた子供を、うるさいからと日本兵に殺された母親。
オジイが日本兵にスパイだと疑われて連れていかれた小学生の男の子。
家族を本土に残して亡くなった日本兵。
そして、地上戦で亡くなって、故郷を恋しがるアメリカ兵・・・。
みんな戦争で亡くなってしまった。
もっとしたいことがたくさんあっただろうにねぇ。
ヌチドゥタカラ(命こそ宝)ということをみんな知らずに亡くなってしまったんだねぇ。
アンマーが、骨に語りかけます。
アンマーの息子さんも、日本兵から手榴弾を渡されて、自決したのです。
アンマーが、息子さんの骨を探しはじめて、10年以上も経ちました。
いつものようにガマの中で、子守唄を歌いながら骨を探します。
すると、その子守唄を聞いて、息子さんの魂が「アンマー!」と話しかけてきます。
戦争は殺し合いだよ、人間のすることじゃないよ。
そう話す息子さんに、アンマーはやさしく話します。
もう戦争はしないよ、日本はもうどんな国とも戦争をしないと約束したんだよ、と。
息子さんは言います。「アンマー、あの子守唄をもう一度歌ってくれないか?」
最後は部屋を明るくして、みんなで歌いました。
この物語では、だれかが悪いのではなく、戦争は悲しいものだ、と書いています。
ストーリーを書くと、おそろしいお話のようです。
が、読み聞かせメンバーのみんなの淋しくも優しい語り口。
それに、おだやかな沖縄音楽のBGMで、ゆったりした劇になりました。
家族を殺された人達も、殺した日本兵やアメリカ兵さえも、みんなが戦争で亡くなった。
みんな悲しく辛い思いをした。
この考え方は、平和祈念公園の礎(いしじ)とも共通していると思います。
平和祈念公園には、戦地で亡くなった人達全員の名前を一緒に並べてあります。
劇に参加させてもらった私も、とても考えさせられました。
もうすぐ、正午です。
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