インディアン・オーク号と「いちゃりばちょーでー」の心

インディアン・オーク号と「いちゃりばちょーでー」の心  北谷(ちゃたん)の美浜ビーチには大きな船が乗り上げています。のように、見えますよね。  実はこれは子供達のための遊具なんです。この船は、インディアン・オーク号を模して作られています。なぜこのビーチに、巨大な船の遊具があるのか。その理由は今から170年前に起きた出来事にあります。    1840年8月14日、英国船籍東インド会社のインディアン・オーク号は、台風の影響を受けて北谷先のリーフに座礁しました。  当時は、難破船がくれば物を略奪し、船員は捕らえられてしまう時代でした。しかし北谷の村人達は船を失った乗組員67人全員を救出し、帰国するまでの45日間、衣食住を与え手厚くもてなしました。  また、帰国の際には約180トンの巨大な船を建造し、乗組員に提供しました。インディアン・オーク号の遭難から帰国までの様子は船員が書いた「海事誌及び海運記」として、大英博物館に所蔵されています。 (参考:近くにあった石碑) インディアン・オーク号と「いちゃりばちょーでー」の心  インディアン・オーク号が座礁した地点は、今この船がある場所の沖のリーフなのだそうです。ちなみにこれは赤ちゃん用「インディアン・オーク号」です。  歴史的な出来事があった場所に、こうして子供達のための遊具を設置するというのは、子供達を大切にする沖縄ならではの考え方だと思います。 インディアン・オーク号と「いちゃりばちょーでー」の心  船の上から見たビーチです。アスレチックになっていて、子供達は大喜びで遊んでいます。    沖縄に来てまだ数日しか経っていないある日、私は村の病院で診察を待っていました。  ふと隣りにいたオバアが、「内地から来たね?」「はい、な、内地から来ました。」  このときが初めてでしたが、「内地から来たの?」とはよ~く聞かれます。私は顔もうちなーんちゅのようにクッキリしてないですし、名字も「与那覇」(よなは)、「我如古」(がねこ)、「比嘉」(ひが)さんなどが多い中で、明らかにナイチャーの名字なので、一目瞭然なのでしょう。  そして「内地から」だったら、あとはどこからでも一緒という感じです。それくらい、内地から来た人はこの地域では少ないのです。  話がそれましたが、内地から来たら、人の優しさに驚きました。とくに子供達にはみんなが本当に優しいです。というとオバアが話しはじめました。  「沖縄には、こんな言葉があるんですよ。」  私が内地の人だとわかり、丁寧な「ニホンゴ」(共通語)を話しはじめるオバア。まるで旅行番組の一場面みたいでドキドキします。  「いちゃりばちょーでー。いちゃりば、ちょーでー。出会えば、兄弟。出会った人とはみんな兄弟や家族のように仲良くしようという意味です。」  そう、まさにそんな感じなのです。初めてなのに、出会ったときにはもう友達のような、あたたかい感じがします。すてきな言葉です。   インディアン・オーク号と「いちゃりばちょーでー」の心  インディアン・オーク号にまつわる出来事と、この「いちゃりばちょーでー」精神は関わりがある気がします。  2000年に沖縄でサミットが開かれた際、イギリスのブレア首相が北谷町を訪れて、160年前に起きた出来事について感謝の意を表したそうです。



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この記事へのコメント
そのときの難破船の物語をぜひ読みたいですが。。、
Posted by Notchi at 2011年03月05日 18:45
 あれ?さっき「ニーヘーデービル」のところで書いたと思いますが、「テンペスト」に出てきます。
 ほかにも文献がありそうですね。
Posted by おかめはちもくおかめはちもく at 2011年03月05日 20:26
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