ほとんどのエイサーは、ウークイの次の日に終わりました。
朝、仕事で公民館に行くと、お兄さんがチョンダラートラックのテープを外していました。
山積みになった、お祝いのお菓子。
雑然とした、着替え用の大部屋。
公民館の外にある机に突っ伏して、微動だにせず眠っている若者達。
宴のあとです。
さて、今日もエイサーを見にきました。
ここは、沖縄科学技術大学院大学です。
今年11月に開校予定ですが、すでに研究者やスタッフが数百人いらっしゃいます。
キャンパスの中は誰でも出入り自由で、キャンパスツアーも行われています。
キャンパス内には、芝生の小さな広場があります。
ここに、もうすぐ地区の青年会がやってきます。
17:30開始、と言いながら、青年会はなかなかやってきません。
これが、沖縄が世界に誇る「うちなータイム」です。
内地だと、待ち合わせの時間に、待ち合わせの場所に来る。
うちなー(沖縄)では、待ち合わせの時間に家を出る。
もっとひどい人は、待ち合わせの時間に起きる。
沖縄の人は、なんだかちょっと誇らしげにこう言うのです。
そんなんだったら、仕事にならないんじゃないの?
私が地元の人に聞くと、うぅんー仕事のときは時間は守るサァね。
とのことでした。
・・・それができるなら、普段から守ればいいのに。
青年団が到着しました。
エイサーを見ようと、たくさんの方々が集まってきました。
この大学院大学は、半分近くが外国人です。
日本の踊りを、初めて見る人も多いことでしょう。
どうしてエイサーを踊るのか、
御先祖様を見送るならどうして近所の会社の前で踊っていたのか、
興味津々な皆さんにいろいろ聞かれました。
こういう形で、大学院大学の人達が沖縄の文化に触れられるのは貴重な体験だと思います。
このあと、数日間追い続けたエイサーの、最後の最後のカチャーシーを踊りました。
その様子は動画で載せましたので、お時間があるときにご覧ください。
外国人は好奇心旺盛でノリがいい人が多いので、みんな喜んで踊っていました。
言葉は通じなくても、みんな一緒に踊って、一体感がありました。
エイサーの後、太鼓の叩き方を教えてもらう、おじさんたち。
先日、私が外国人たちの前でサンシンを弾いたときも、後でみんなにどんどん質問されて驚きました。
見るだけでなく、もっと知りたい!あわよくば弾いてみたい!という行動力に圧倒されました。
でもその行動力がうらやましいとも思います。
エイサーが大好きな息子。
カチャーシーを踊って、外国人たちから「先生!」と言われてました。
お兄さんたちの太鼓を持たせてもらって、ポーズ。
今月末に、息子も学童でエイサーを踊るそうです。
これで、長い長いエイサーのお話は終わりです。
最後に、どうして隣りの区の神様(ノロ)の家で、エイサーが踊られなかったかという話を。
お盆に、102歳でノロが亡くなったそうです。
恐る恐る、聞きました。
「お盆・・・って、お盆の何日に亡くなったんですか?」
ノロは、御先祖様があの世に帰るウークイの日の夜に、亡くなったのだそうです。
旧盆中は、沖縄では海に入らない。
海に帰る御先祖様がひっぱっていくから、とこの前書きました。
しかし、まさかちょうどウークイの日に亡くなるとは。
「沖縄って・・・やっぱりすごいところですね・・・」
背筋がゾクッとしました。
*3日間おいかけたエイサーの動画です。
http://www.youtube.com/watch?v=tTLUYmgMBj8&feature=youtube_gdata
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